草はらに馬放ちけり秋の空 これは漱石の隈本時代の俳句である。
漱石は正岡子規と親しく、子規の影響を受けて、俳句もよく作ったらしい。
文学作品においても、彼の文体は実に歯切れがよく、勢いがいい。
そのままが俳句にも表れている。
この俳句は草原に馬を放ったと言うのだが、どんな馬で、どんな草原だったのだろう。
なにしろ明治中期のことである。
熊本には広い草原など、いくらでもあったことだろう。
その草原で自由にされた馬は飛び跳ねて走り回ったことだろう。
その無邪気な姿を包んでいたのがよく晴れた秋の空だったのだ。
大きい景色である。
その大きい景色を想像させるところにこの句の価値もあるのだと思う。
今日の東京はどんよりと曇っている。
智恵子賞の智恵子は「東京には空がない」と言った。
智恵子にとって、安達太良山の澄み切った空こそが、空と言えたのだろう。
智恵子の東京は昭和初期の頃のことで、エネルギー元としては、多く石炭が使われていた。
石炭の煙で汚された空は、智恵子にとっては空ではなかったのだ。
そこへいくと、熊本の空は晴れ渡っていたことだろう。
馬のはね遊ぶ姿とそれを包む秋のそら。
それを想像するだけでも心楽しいではないか。
9月 九日(金曜日)

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