SSTK コーヒータイム通信-vol
SSTK  コーヒータイム通信 -vol.99-
 3月になりました。相変わらず月日の経つのは早いです。世間ではよく言われますが、色々な事で変化の多い月です。喜び・残念など各人各様です。皆様いかがですか?多いに笑っていることと思います。
今月号は、第45回「ガレージセール
in あさか」のお知らせがあります。後ページをご覧下さい。
 入学の季節ですが、また今年も障害のある学生が入学を拒否されました。いつまで続くのでしょうか。バリアフリーなどの言葉が氾濫している時代なのに、入学を拒否される世界が行政の中にまだ残っているのが現状です。
なぜなぜ!(坂本)

  今後の予定

4月 2日  レモンの木・オリーブお花見会
4月26日  あさか市民ネットワーク 総会
5月10日  第45回ガレージセール
in あさか

この通信の内容・ご意見などありましたら
351-8799  朝霞郵便局私書箱 23
TEL 048-467-7749    FAX 048-466-3687 E-mail info@coffeetime.jp
までお寄せください。

第45回ガレージセール in あさか
5月10日に開催決定!
リサイクルに∞御協力を

 ゴールデンウィークは、お部屋の片づけをするのに最適なシーズンですね。の?んびり、ゆ〜たりと整理整頓すれば、心までスッキリするはずです!そして、不要になった品物に値段を付ければ、ガレージセールの出店準備もできて、一石二鳥!! 爽やかな春、「一日店長さん」を楽しんでみませんか。詳しい応募方法は下記をごらん下さい。いざ、ガレージセールへ出店! 

日  時……平成21年5月10日(日)午前
10 00 ?午後 3 00
      ※雨天の場合は5月17日(日)に順延
会  場……朝霞市中央公園陸上競技場前石畳
申  込……官製はがきに、住所、氏名(ふりがな付)、電話番号、
      申込ブース数(1ブースは2m×2m)を記入し、
      「〒
351 ? 8799  朝霞郵便局私書箱23号
           
NPO 法人コーヒータイム事務局」まで
申込締切……平成21年4月25日
出 店 料……
2,500 円(1区画)
出店募集数……約235ブース
問 合 せ……
NPO 法人   障害者も地域で共に・コーヒータイム事務局       
       月?金曜日 午前
9 00 ?午後 5 00
       電話048?467?7749
後  援……朝霞市・朝霞市社会福祉協議会
ルイ・ブライユ生誕200年
元筑波大学教授医学博士 長尾 栄一

 皆さん! 世の中に文字がなかったらどうだと思いますか。いちいち言葉で伝える以外には方法がありません。遠くにいる相手に意思を伝えるには自分で行くか、誰かに伝言してもらうかしなければなりません。又、文字で書き残せば昔のことも後の世の人に伝えられます。
 視覚障害者は点字によってそれができるようになったのですが、点字あってこそ、選挙もできますし、ラヴレターも書けます。その点字を発明した人がフランスのルイ・ブライユ(
Luis Braille, 1809年?1852年)です。
 ブライユが生まれた1809年年1月4日はフランスではナポレオン(1769年?1921年、在位1804年?1814年)、日本では江戸時代の後期、11代将軍徳川家斉の頃でした。
 ブライユは3歳のとき、馬具職人の父の仕事場で誤って道具で目を自分で突いて失明しました。
 それからパリ盲学校に入り15歳の年、軍人のバルビエが「夜の文字」として作った暗号文字の12点字を見せられました。縦6点、横2列なので指を当てて読み取れる範囲から文字がはみ出してしまいます。ブライユはこれを半分の六点にしてアルファベットや数字や楽譜に当てはめ6点点字を完成しました。今や世界各国の言葉が6点点字に当てはめられ、視覚障害者の教育や生活に欠かせない物となりました。
 日本の点字は石川倉治(1859年?1944年)によって、明治23年(1890年)に作られました。
今年はくしくも石川倉治の生誕150年にも当たります。
ちなみに、ブライユと同い年の人は、2月3日生まれのメンデルスゾーン、2月12日生のダーウィン、リンカーン、4月28日生の島津斉彬(しまづなりあきら)です。

?お知らせ?
 コーヒータイムでは、6点点字を考案者「ルイ・ブライユ」の生誕200年、日本点字を考案した「石川倉治」の生誕150年を記念して今年の10月24日(土)に埼玉県芸術劇場で埼玉での記念事業を行います。
詳しくは、次号でご連絡します。

タンデムの集い
視覚障害者デイケア施設レモンの木施設長 阿佐 博

 都盲協 ( 東京都盲人協会 ) から、「タンデムを楽しむ集い」の通知をもらった。
タンデムとは、二人乗り自転車のことだ。
 都盲協では、東京サイクリング協会の協力を得て、失明者のレクリエーションの一つとして、この集いを年に数回催している。
この通知をもらうと、私はいつも春の訪れを感ずるのである。晴眼者が前に乗り、失明者は後ろに乗って、ともにペダルをふみながら風を切って走るのは楽しいものだ。
 だから、タンデムは失明者にとって、絶好のスポーツの一つだと思うのである。
 戦後まだ車が少なかったころ、街中の公道でもタンデムで走ることが出来た。
 私は中学生だった長男を前に乗せて、よく街中へ出かけたものだった。車社会になって公道でのタンデムは禁止となり、特定のサイクリング・コースでさえそれを禁止するところが現れるようになった。
 埼玉県の森林公園などがそのよい例だ。だが、東京の昭和公園では、今でも貸しタンデムを置いてあり、家族や友人などでそれを楽しむ姿を見ることが出来る。
 都盲協の「楽しむ集い」は、神宮外苑やパレスサイクリング道路で行っているが、事故など一度も起こしたことはない。こうした催しが各地でもっと行われることを望みたいものである。

大宮商業高校の4年間を返せ!
斉藤晴彦くんの卒業を求めて


 大宮商業定時制で四年間みんなと一緒に過ごし、卒業記念品までもらいながら、いままでの4年間は無だった、単位を取りたければ1年からやり直せと校長から宣告された斉藤晴彦くんの親・尚子さん(連絡会代表)は、昨日、県庁内の県政情報センターへ行き、この件に関する資料の公開を大宮商業に対して請求したい旨を告げ、同センターは大宮商業に連絡を入れました。これから請求したいと考えている文書の一覧を添付します。ただ、県教育局が大切な事前協議の記録すら作成していないということに示されるように、一覧の中の資料の多くは公文書として存在しないとされることが予想されます。どのような文書を請求して行けばよいか、みなさんの助言をお願いします。

 ちなみに、これに先立って、4日(水)に斉藤くんご両親と連絡会から竹迫、門坂、山下で大宮商業に出向きました。校長、教頭、教務、担任が対応しました。校長は連絡会に対し「オブザーバーとして」と説明しましたが、実際には話し合いに参加できました。

 ここで明らかになったことは、当時の大宮商業校長と浦和一女校長(連絡会の山田葉子さんが同時期に定時
制に入学)とが話し合い、入学時から「入学は許可するが、卒業は保障しない」という方針で受け入れていたことです。連絡会がその意味を追及すると、校長は他の生徒の場合も同じで進級・卒業できない場合もあるとごまかしていましたが。また、担任は、メモを見ながら、H18年3月2日に、校長、教頭と担任でお母さんと話した際、卒業を前提としないということを合意事項として確認したと述べました。すなわち、高校側としては、置いてはあげるが高校の教育はしないんだよということを納得させたとみなしたのです。
2年、3年、4年と同じクラスで来たことについては、「履修」と「修得」は異なるということで、単位は取れていなくとも2年の授業を受けることができるので、たまたま晴彦くんが1年生のときにいたクラスが他の学年にくらべて安定したクラスだったため同じクラスにしたのだと、教務の教員が説明していました。

 しかし、斉藤さんは決してそのような理解はしなかったからこそ、H18年4月から県高校教育指導課の主席として交渉相手になった永松氏にも、何度も「単位取得ができるようにする方策はないのか」と何度も聞いていたわけです。それに対し、これという案もなく、局から高校側への説明や働きかけもなかったのですが、それは大宮商業の校長をはじめとする「置いてやるだけ」という方針に局も同調していたからではないでしょうか。

 入学前から大宮商業にいる教務の教員は、「斉藤さんが特別扱いはしないでほしいと言ったから、単位取得などについて特別なことをしなかった」と言い訳していました。しかし、まさに斉藤さんはそうした工夫を求めていたのです。「特別扱いはしないでほしい」と言ったのは、みんなと別の教材や別の教育内容や別の場でやらないでという意味であり、人を付けてくれとも求めませんでした。求めないのに非常勤職員が付きました。
しかし、その非常勤職員は、高校教育を受けている他の生徒たちから、ただ置いてあげている晴彦くんをガードするための存在でした。晴彦くんの教育をみんなで真剣に考えてやってきたのだと校長達は言います。
ただそれは高校教育ではなく、「自立支援」と称する、斉藤さんに言わせれば「一人の養護学校」の教育です。斉藤さんはこういう「特別扱い」をしないでほしいと一貫して言ってきたのです。中学校のときと同じようにと。

 斉藤さんは教員達が他の生徒に対し、「とにかく出て来い」と常に言っているので、休まずに出席したら4年では無理でもいつかは卒業できると希望を捨てずに、家族全員で晴彦くんの通学を応援してきたといいます。

 お父さんは、非常勤の教員に晴彦くんがくりかえしバレーのボールをぶつけられているのを見ましたが、そういう教育もあるんだろうと思い、それでも休まないようにとがんばって後押ししてきたと話しました。
それがここまで来てやめてくれはないだろうと。バカだから卒業できないというわけかと。「近代は格差をなくす方向へ進んできたはずなのに…錆びた刀で斬られるようなもの」、「自分の防衛だけしか頭にないのか」などと、校長に対し、怒りをぶつけていました。
 このようなやりとりの中で、校長は、先にお母さんに示した2案(○非常勤職員をつけず1年生のクラスで他の生徒と同じ勉強をして単位取得を目指す ○3年生のクラスに入り県予算が付けば非常勤職員を付けて4年生をもう一度やる)については、例として挙げただけで、押し付けるつもりはないと述べました。
そして、今後もよい道を話し合ってみつけたいと言いましたが、お父さんが主張する「校長の権限で卒業を」ということについてはできないとくりかえしました。

 以上のやりとりの中で、あまりにも疑問に思わざるを得ない点が多かったため、今回情報公開を求めました。

 日高高校の定員内不合格の事前協議で、野沢校長は主席に対し、教員達が受け入れたとしても単位、進級、卒業は無理だろうと不安をもっていることを述べていたようです。大宮商業での「教育」が高校教育ではなく、一人養護学校のような「自立支援」の教育であったとすれば、なんのためにそれを日高高校でやらなければならないのか、理解できないのは当然だと思います。高校の門を重い障害のあるとされる人々にも開き、彼らの存在を自然に前提とした選抜や教育を進めてゆくためにも、大宮商業の現実を放置してはおけないと考えます。

?大宮商業への斉藤夫妻の手紙?

一、皆と一緒に卒業させていただく事を望みます。

一、    単位取得を問題としながら、学校側は何の対策もとる事もなく、補習の機

  会すら与える事もないまま、これまで来ました。
  それは問題(差別)だと思います。

一、    出席率は、多分最も大切な事の一つではないでしょうか。四年間ほとんど  

  欠席する事なく、いろいろな方々の支えと家族の協力でやって来ました。  
  それらは何の意味もなかったのでしょうか。

 平成二十一年二月十六日
         父  斉藤 晴一
         母  斉藤 尚子


「坂本のきままなひとり言」

 今の日本はどこかおかしい。私だけ?これからの日本は,どうなるのでしょうか?夢が持てない国
なんて、だめです。もっと希望の持てる国になりたいですね。議員さん。選ぶ国民の皆さん。
どうしたの日本は!どうしたら良いのでしょうか。(坂本)

≪編集人≫
特定非営利活動法人 障害者も地域で共に・コーヒータイム 
代表 坂本 さとし
 
事務局…〒 351-0011 埼玉県朝霞市本町2 - - - 406
郵便物送り先…〒
351-8799 朝霞郵便局私書箱23号
TEL 048-467-7749
FAX 048-466-3687 

 

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